七北田川左岸にある日和山は、明治末に築造された人工の山。震災以前は標高6mの元祖日本一低い山として親しまれていた。津波で大きく削られ、現在では標高3mの山となっている。
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七北田川左岸にある日和山は、明治末に築造された人工の山。震災以前は標高6mの元祖日本一低い山として親しまれていた。津波で大きく削られ、現在では標高3mの山となっている。
仙台海浜鳥獣保護区の特別保護地区に指定されている干潟。水辺で羽を休める野鳥やさまざまな植物群が生息し、かつてはシジミやアサリなども採れた。震災の津波で姿が変わってしまったが、その後少しずつ再生している。
写真提供:「オモイデピース」製作プロジェクト
東北最大級の水族館。三陸の海を再現した幅13m、高さ6.5mの巨大な水槽やイルカとアシカのパフォーマンス、動物たちとのふれあいなどさまざまなコンテンツが楽しめる。
写真提供:仙台うみの杜水族館
1873(明治6)年に開校した中野小学校では、震災時に校舎2階まで津波が押し寄せた。2016(平成28)年3月に142年の歴史に幕を下ろし、跡地には閉校記念碑のほか、慰霊と地域の歴史が刻まれたモニュメントが設置されている。
東日本大震災の教訓をもとに建てられた市内第1号となる津波避難タワー。鉄骨2階建てで、6m以上の高さに約300人収容可能。仙台市内には、こうしたタワー型・ビル型などの津波避難施設が13カ所整備された。
地元の方を雇用し、津波被災地での農業の6次産業化に取り組む農業生産法人。毎週土曜日の朝に「みちさき朝市マルシェ」を開催し、養液栽培によるトマト、イチゴ、葉物を中心とした自社生産の新鮮な農産物を販売している。
写真提供:株式会社 みちさき
仙台市内の汚水の約7割を処理する南蒲生浄化センターは、震災により主要な土木・建築構造物が破壊され、機械・電気設備が壊滅的な被害を受けた。2016(平成28)年、新しい水処理施設が完成した。
1989(平成元)年に開園した農業園芸センターは、震災では津波冠水などの被害にあった。震災後全面休園したが、一部を除き2011(平成23)年10月から営業を再開。収益性の高い農業の推進や、人々と農との触れ合いの拠点として2016(平成28)年4月にリニューアルオープンした。冬には、隣接する大沼で白鳥を見ることができる。
創建当時は今の場所から500mほど南東に位置したとされ、かつてこの地を襲った大津波が社前で左右に分かれ引いていったことが、「 浪分神社」の名前の由来だと言われている。
写真提供:せんだいメディアテーク/3がつ11にちをわすれないためにセンター
津波にまつわる伝説を持つ「浪分神社」にあやかり名づけられ、東日本大震災の津波到達地周辺に目安木として植えられた桜。2015(平成27)年3月、京都市生まれで世界中の日本庭園を手がける第16代佐野藤右衛門氏により提供され、多くのボランティアの協力により植樹された。
“喜びに満ちた不朽の城であるように”との願いを込め、中世の豪族が築いた屋敷の名を起源に持つ長喜城には、現在も居久根(いぐね)に囲まれた集落が残っている。居久根とは、農家の屋敷を取り囲む林のこと。風雪から住宅を守るためだけでなく、食料や建材、燃料の供給源として人々に大切にされてきた。
1873(明治6)年に開校した荒浜小学校は、海から約700mの所に位置しており、震災では校舎2階まで津波が押し寄せた。震災後5年間、東宮城野小学校の一部を間借りする形で存続したあと、荒浜小学校は2016(平成28)年4月に七郷小学校と統合し、閉校した。2017(平成29)年4月から、震災遺構仙台市立荒浜小学校として公開されている。
東日本大震災の犠牲者の慰霊と鎮魂のため、荒浜自治会と七郷連合町内会により建てられ、2013(平成25)年3月11日に建立式が行われた。荒浜地区を襲った津波とほぼ同じ9mの高さで、慰霊碑には犠牲者192名の名前が刻まれている。
2005(平成17)年の開園以来、自由な発想で遊べる場としてたくさんの子どもたちに親しまれている公園。震災では7~8mの津波が押し寄せたが、敷地内の15mの高台が近隣住民ほか5名の命を救い、仙台市震災復興計画にある「避難の丘」のモデルになった。
1957(昭和32)年に六郷小学校種次分校から独立し開校した東六郷小学校。震災では校舎1階天井付近まで津波が押し寄せた。2017(平成29)年4月には六郷小学校と統合した。2015(平成27)年に体育館の解体工事がはじまり、その床材が当館2階展示室に再活用されている。
名取川の河口に広がる潟湖。一帯に広がる国指定の鳥獣保護区の中でも、さらに厳しい規制がかかる特別保護地区に指定されている。震災以前はヨシ原だった隣接地には、津波により新たに干潟が生まれている。
藤塚集落の南東にある平安時代創建の伝えをもつ神社で、名前の由来となる五社が祀られている。震災の津波で鳥居や社殿が集落とともに流されてしまったが、2015(平成27)年に本殿と拝殿は再建され、津波に流されずに残った狛犬もある。
最大クラスの津波に対する多重防御をより強固なものにするため、仙台東部道路と海岸堤防の中間を南北に走る県道塩釜亘理線等のかさ上げ工事が行われた。高さ約6m、道路幅約10m、盛土の下幅30 ~ 40mのかさ上げ道路は、2019(令和元)年11月に開通した。
阿武隈川から旧北上川河口までの仙台湾沿岸をつなぐ、日本一の長さを誇る運河。江戸時代に開削されて以来、物流ルートとして仙台の発展・近代化を支えてきた重要な歴史的遺産である。治水や利水といった機能に加え、豊かな自然環境や景観を有し、シジミ漁などの漁場ともなっていた。